無機質で人工的で機械的でコンクリート的なものに抗う術として、意識的に身の回りの風景をちゃんと捉えて、言葉にして、振り返っていこうというような趣旨でこのかぜあつめを書いていたのだけど、最近そんなことしなくてもいいのかな、って思ってきていて、自分のなかで何かが起こり始めている。

そういう趣旨で始めたときは働き始めたときで、毎日仕事で疲れていたからそういう思いもすごいわかる。時間に絡め取られている感覚。このままだといつかロボットになって、感情もなくなって、自分が死んでしまうんじゃないかという感覚。人間味を失って、大事なものもポロポロ取りこぼすようになって。でも環境が変わって、ある程度自分の時間を自分でコントロールできるようになって、考える時間もとれるようになった。すごい進歩。

たぶん、社会と自分との距離感がだんだん掴めてきて(どこで足をすくわれるかわからない脆いものだけど)、自分を自由にできる状態にあるので、抗いたいときには抗えるし、エンジンをいれたいときもガツッとエンジンをいれることができるのがいいんだと思う。

僕は、必要以上に周りの目が気になってしまう性分だ。それは特に、会社のように誰かと共通の空間にいるときに発揮される。一挙手一投足の動きをみられていると思ってしまい、何もできなくなる。トイレに立つタイミング、ティッシュをとる枚数、コーヒーを淹れる時間。仕事場は誰かに観察されていて、減点方式になっていて、「仕事をする」以外に時間をつかうと持ち点が減らされ、評価が下がり、そのうち「あいつはダメだ」「サボってばかりいる」と変な噂を立てられる。それは嫌なので仕事をする。必要以上に仕事をする。誰からも嫌われたくないので、または持ち点を少しでも稼いでおくために、仕事時間以外も仕事をする。時間がなくなる。すり減る。すり減る。すり減る。

僕は会社にいたらそんな世界に生きてしまう。幸い、稼いでおいた持ち点がだいぶプラスになっていたので、それなりに評価もされていたけどつらかった。そんな世界で40年も生きていくなんて絶対にできない。だからフリーランスの道を選んだ。すごいね、と言われるけど、弱いからできたことだった。

そうやって理想の環境を手に入れたので、もはや意識して感情を取り戻さなくてもよくなったのかもしれない。すべての僕の行動はアンダーコントロール。誰からも干渉されることはないし、ポイントが減ることもない。落ち着きたいときに落ち着けばいいし、頑張りたいときに頑張ればいい。誰からも評価されない生活は快適だ。

そんな我儘な生活をしていたら僕はダメになってしまうかもしれないという漠然とした不安も抱えながら。